表現の自由は誰にとっても重要な課題です。この一年の出来事によって、この課題がいかに難しいものであるかが浮き彫りになりました。表現の自由は、国や文化といった枠を大きく越えてはいますが、世界中の人々にとって、そうした枠により表現の自由という問題はそれぞれ違った形で形成されているのです。表現の自由が、私たち全員にとっての課題である一方で、これが意味することは、人によって異なるということです。
国境なき記者団は、2008年に世界反サイバー検閲デーを定めました。その目的は、私たちが本当に思っていることを口にする権利は、当然のものとして考えるべきものではないという意識を高めることにあります。言論の自由は、その普及を脅かすような変化に直面する中で、絶えず成長と縮小を繰り返す動的な概念です。インターネットによって、世界中の多くの人が効果的に発言できるようになった一方で、このインターネットというかけがえのない資源に対抗して発生する脅威が常に存在しています。世界反サイバー検閲デーはこうした闘いに注意を向けています。
昨年、国境なき記者団は、年次イベントの一環として「インターネットの敵」と呼ばれるリストの作成を行いました。このリストを見ると、世界各国の政府機関が挙げられていることがわかります。私たちのデジタル・フリーダムのもろさを浮き彫りにしている事例の多くの原因はこうした政府機関にあり、例えば、数百万件におよぶ通話への暗号化キーがNSAとその共謀者によって盗まれたジェムアルトのハッキング事件もその一例です。また、監視などはまだ序の口に過ぎず、事例の中には、こうした機関が自分たちの標的を確認したら、行動をエスカレートさせ、標的を抑圧するといったこともあります。香港の抗議団体は、地元の民主化運動ウェブサイトがマルウェアに感染した際にこれを経験しました。また、トルコでも国民がツイッターの取り締まりにおいてこれを経験しています。
インターネットの敵としてこうした機関に注目することは、「敵と味方」という大きな二分化の中での闘いを生み出します。敵・味方というのは、この対立を指すには少々ありふれた、単純化し過ぎた表現かもしれませんが、それでもこれが示すのは、自分たちが持つ権利を結集し主張する機会が人々にはまだあるということです。そして、この闘いにおいて、誰ひとり孤独な人はいません。この闘いの中では、すべての人に敵も味方もいるのです。
ここまで色々述べてきましたが、世界反サイバー検閲デーは悲観的なことばかりではありません。国境なき記者団は、政府によってブロックされた多くのウェブサイトの抜け道を見つけるべく努力をしています。また、電子フロンティア団体は、引き続き情報の提供や教育、また開かれた自由なインターネットを求める声の代表としての取り組みを続けています。そして、エフセキュアは、プライバシーおよびセキュリティ対策を世界中の人々にとって簡単で身近なものにしていくことで、貢献したいと考えています。
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