プライバシーと犯罪取り締まりのバランスは、どのように取るべきでしょうか? デジタルで接続された時代に突入した今、これは大きな問題の1つです。西欧民主主義国には政府当局ができることと、できないことを管理するための規則があり、それらが定着し、広く受け入れられています。その1つが最近、注目を集めています。アメリカ人が言うところの、“plead the Fifth=黙秘権を行使する”権利です。

法律は国によって異なりますが、たいていの国には米国憲法修正第5条に似ているものがあります。その内容は、「誰も刑事事件において、自己に不利な供述を強制されない」というものです。大衆文化のなかでは、「あなたには黙秘権があります」という表現が良く使われています。しゃれた言い方をすれば、「自己負罪からの保護」ということになります。

つまり、当局から犯罪の容疑をかけられても、誰もあなたに情報を明かすことを強要することはできない、ということです。あなたには自らを守る権利があり、情報の開示を拒否することは法的防御の方策です。しかし、警察に適切な令状があれば、あなたの家や車の捜索も可能であり、あなたにそれを止めることはできません。つまり憲法修正第5条は、あなたが知っていることは守ってくれますが、あなたが保有するものは守ってくれないのです。

まあ、良いとしましょう。しかし問題は、その昔、1789年にこうした基本原理が確立された時には、情報技術は存在しなかったということです。憲法修正第5条や他の国における同様の法律を作った人たちも、“あなたが知っていること”が、頭のなかだけでは収まりきらないような事態になるとは予測できなかったでしょう。私たちのモバイル機器、ソーシャルメディア、クラウドサービスには、下手をすると、私たちの考え方や連絡を取っている相手、行った場所、行動に関する総合的な情報が格納されてしまいます。こうしたすべてがデバイスに保存されているため、私たちが黙秘権を行使したとしても、警察はこれらを入手することができるのです。先週木曜の夜10時には何をしていましたか? ○○さんを知っていますか? ○○さんとはどういう関係ですか? 最近、化学薬品を購入しましたか? 銃を持っていますか? 先月、ボストンへ行きましたか? mohammad@isis.orgと連絡を取ったことはありますか? 捜査官からは、こうした質問を聞かれるでしょう。そして、あなたが黙秘権を行使したとしても、こうした質問の答えが、あなたのデバイスやクラウドに格納されているデータのなかに見つかるかもしれないのです。

では、憲法修正第5条はその意義を失ってしまったのでしょうか? 修正第5条を作った人たちは、この状況を受け入れるでしょうか? それとも、この修正条項を修正するでしょうか?

ソーシャルメディアやクラウドストレージの場合、状況は非常に明らかです。こうしたデータは、サービスプロバイダのデータセンターに格納されています。警察は令状を取れば、あなたの手を借りずにあなたのデータを入手することができます。* 家から押収するコンピュータに関しても同じことです。これは憲法修正第5条による保護が及ばないというのが一般的な解釈です。では、サーバに暗号化したファイルを保存していた場合はどうなるのでしょうか? あるいは、ローカルのストレージを暗号化するデバイスを使用していたら?(最近のAndroidiPhoneはこのカテゴリに属しています)。

こうしたケースになると、警察はパスワードが必要になります。これは“あなたが知っていること”であり、保護されるものです。これが警察にとっての問題であり、対処について各国では様々な法整備を行っています。イギリスでは積極的なアプローチを取っており、パスワードの開示を拒否することは罪としています。しかしアメリカでは、記憶しているパスワードは保護されています。これは最近のケースで立証されました。

生体認証に関しては、また別の展開を見せています。あなたが自分の指紋でモバイル端末のロック解除を行っていたと考えてください。便利ですよね。しかし同時に、これによって憲法修正第5条による保護が大幅に弱まってしまうかもしれません。あなたの指紋はあなたの一部であり、“あなたが知っていること”ではありません。アメリカでは、指紋を使って容疑者に機器のロック解除を強要しても、憲法と矛盾しないという判決が裁判官によって出されたというケースが複数あります。ただし、この問題に関して、最高裁判所はまだ判決を出したことはありません。

つまり、憲法修正第5条や、他の国の同様の法律は、頭の中にある情報を守るだけのものと通常は解釈されているということです。しかし、この定義は瞬く間に時代遅れとなり、非常に制限されたものになっています。これは大きな倫理的問題です。憲法修正第5条の崩壊を許し、犯罪取り締まりを優先させるべきでしょうか? それとも、私たちの個人的な記憶は、頭の中にあるもの以外にも広がっているということを受け入れるべきでしょうか? 私たちが個人で使っている機器には間違いなく、憲法修正第5条を作った人たちが保護したいと考えた情報の多くが含まれています。自分の頭のなかに入っている情報を伏せておく権利があるのならば、なぜ他の場所に入っている同様の情報を伏せておく権利を持つことができないのでしょうか? この2つの格納手段は扱いが異なり、それを正当化できるような根本的な違いが本当に存在するのでしょうか?

これらは、異なる利害が衝突する大きな問題であり、完璧な解決策は存在しません。そこで、皆さんにこの問題を投げかけてみたいと思います。皆さんはどう思いますか?

自己負罪の保護 vs 犯罪捜査の必要性について、あなたはどう思いますか? 以下の意見のどちらが、あなたの考えに近いですか?



  • 私たちには、自己負罪からの強い保護が必要です。もし自分が知っていることを隠す権利があるのなら、私の機器に私が保存したデータも保護の対象とされるべきだと思います。私の機器を保護できない場合、憲法修正第5条や同様の法律が保護対象としている情報の多くが明かされることになります。
  • 効果的な犯罪取り締まりを行うことは、私たち皆のためになることです。警察は保存されたデータにアクセスするための幅広い権限を有するべきであり、市民に対し、パスワードで保護されていたり、暗号化されている機器の解除を強要できます。これはプライバシーよりも重要であり、法制度がこの権利を悪用することはないと信頼しています。

安全なネットサーフィンを。
Micke

*警察、容疑者、サービスプロバイダがすべて同じ国に存在している場合には、このように単純なのですが、そうでない場合には非常に複雑になる可能性があります。それに関しては今回のブログ記事の趣旨とずれてしまうので、ここでは扱っていません。

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